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  • 中野 裕弓

あなたの夢はなんですか◇

街行く人にインタビューしたらどんな答えが返ってくるでしょうか。
その方が今 人生のどの辺りを歩んでいるかによっても答えはさまざまですね。
今、これを読んでいる方はどんな夢を心の中にお持ちでしょうか。

「あなたの将来の夢は何ですか」

子どもの頃は周りの大人に「大人になったら何になりたい?」と幾度も聞かれたことでしょう。
幼い頃の他愛のない夢は周りの大人を微笑ませてくれます。
アンパンマン?
ウサギさん?
お菓子やさん?
え? ケーキになりたいですって? 笑

夢といえば、私が今でもよく覚えているのが幼稚園に通っていた頃、ローカルバスの中の光景。
誰に向かって言ったのかさえ覚えていませんが、
いつもの車窓の景色を眺めながら「バレリーナ」と口に出して言った私です。

多分それが始めて夢を口に出して言った時かもしれません。

そうです、子どもの頃バレリーナに憧れ、大人になったらなりたいという夢がありました。

でもバレエを習ったこともありませんでしたし、
考えてみれば身体を動かすのもあまり好きでも得意でもありませんでした。
ではなぜ「夢はバレリーナ」なんて言ったのでしょう。 
子どもの戯れ言?


とはいえ、バレリーナを夢見る子がみなバレリーナになるわけでもないし、
向いているわけでもありません。それはその子の憧れ、
夢見るものが目の前のバレリーナを通して表面化したに過ぎず、なぜそう思ったか 
そのエッセンスはそれぞれ違うのです。

例えば、、、

単純に音楽に合わせて身体を動かすことに惹かれる子、
キレイなコスチュームやメイクに憧れる子、
トゥシューズで真っ直ぐに立つ姿が魔法のように感じる子、
友だちと一緒に合わせて踊ることに興味のある子、
近所のバレエスクールの先生が優しそうだったから、等。



例えば、スーパーマンの夢にもいろいろなエッセンスがあります。

空を飛ぶというエッセンスでパイロットになった人もいれば、
同じスーパーマンから人命救助というエッセンスで消防士や海上保安官になった人、
SFの世界に惹かれ映画業界に進んだ人、デザイナーや、海外の生活に繋がっていく人、いろいろ。

お嫁さんになるというのも昭和の女の子たちにとってポピュラーな夢でした。

子どもを産んで育てているというエッセンスをもらって母になった人、
毎日料理を作りたいというエッセンスから、シェフやパティシエを志した人、
家のしつらえに感性を生かした生き方、食材に凝って田舎暮らしを選んだ人、
家族という大人数の団体生活に憧れて宿を始めた人、
幼い子が「お嫁さん」から何を感じ取ったか十人十色でしょうね。



幼い頃の他愛のない夢は

小学校に上がり分別がついてくると左脳が邪魔して、
純粋な夢をぶれずに持ち続けることが難しくなります。
知識がついてくると「夢」にも格差があることに気づいてしまいます。

大きくなってくると 将来の職業に結びつき 現実味を帯びてきます。

すると大人は茶々を入れてきます。
「野球選手? プロになれるのは一握りよ、無理無理。」
「漫画家? ウチの家系にはそういう才能持った人は皆無、やめておけば。」
「それよりもっとお金を稼いでしっかり親孝行してよね。」
大人に夢を語ろうものなら、夢のない答えが返ってくる危険があります。
「夢なんか見ていないでもっと可能性のある現実的なものにしなさい。」なんていう大人もいそう。
(だから子どもたちは自分の夢を親にも先生にも語りたくないのだそうですよ。)


大人の分別はあなたに囁きます。

どの職業はお金が稼げるか、社会的ステータスがあるか、
結婚に有利か、他人に認めてもらえるか、他人に羨望の目でみられるか、
どういう生き方なら世間体の通りがいいか、楽して暮らせそうか、親が喜ぶか、
何が起きても食いはぐれがないか、などなど。

それってなんだか夢のない話・・・

それに比べて

実はまだ自我も十分に確立されていない幼児の頃に夢見ていたものには、
あなたの適職を探る重要なカギが隠されているのです。

幼稚園児の私はといえば、テレビの中で見たバレリーナが衝撃的で、
最後に舞台の真ん中でスポットライトを浴びてお辞儀をしているシーン、
花束をもらって舞台からはけていくシーンに魅力を感じていたのでした。
ですから踊ること自体には興味はたく、ただラストのそのシーンを再現したくてバレリーナと言ったのでした。

そして気がついたらその後何年も経ってバレリーナのその夢?は叶っていました。

舞台でパフォーマンス(講演)をさせていただき、
終わるとお辞儀をして拍手をいただいて段を降りていました。
時には抱えきれないほど大きな花束をいただいて。

人の前でお話しさせて頂くことは大好きで天職と思っています。
あの幼稚園児はそれが私の求める幸せの図と知っていたのです!



ずっと後になってキャリアコーチとして、一人ひとりにあった仕事のアドバイスを始めた時に 
幼い頃の夢が自分の本質を知る上でどれだけ大切か気づかされました。

当時その個人セッションでは、まずはキャリアプランニングシートに
いろいろ記入していただくことから始めますが、
埋めるべき9個ある空欄の一つが「幼い頃の夢、憧れ」でした。
ずいぶん昔のことで記憶にない人も多かったです。後日、親御さんに確かめた人もいました。

そのシートには、幼い頃の夢、エッセンス、以外にも学歴・資格、得意なこと、
現職の仕事の領域の中で今後も続けていきたいこと、などという現実的な項目もあって、
一つ一つクイズのように答えていくうちに思いもしなかった自分にとっての
Feel goodな環境の図が出来上がっていきました。


「幼い頃の夢はなんと言っていましたか?」


大人社会の計算や分別にまみれる前に素直に心が惹かれていたものの中にあなたの本質、
心が喜ぶ要素が現れるのかもしれません。

お医者さんや弁護士さんや実業家がステイタス高いなんて考えを吹き込まれる前の
素の自分と話をして見たくなりませんか。
SNSSHARE

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COLUMNIST
中野 裕弓
人事コンサルタント
ソーシャルファシリテーター
中野 裕弓
HIROMI NAKANO
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19歳で語学研修のためロンドンに渡り、その後9年に及ぶ英国生活を経て、
東京の外資系銀行、金融機関にて人事、研修などに携わる。

1993年、ワシントンD.Cにある世界銀行本部から、日本人初の人事マネージャー、人事カウンセラーとしてヘッドハントされ世界中から集まったスタッフのキャリアや対人関係のアドバイスに当たる。

現在は一人ひとりの幸福度を上げるソーシャルリース(社会をつなぐ環)という構想のもと、企業人事コンサルティング、カウンセリング、講演、執筆に従事。 また2001年に世界銀行の元同僚から受けとったメッセージを訳して発信したものが、後に「世界がもしも100人の村だったら」の元となったため、原本の訳者としても知られる。

「自分を愛する習慣」をはじめ、幸せに生きるためのアドバイスブックや自分磨きの極意集、コミュニケーションスキルアップの本など著書多数。

2014年の夏、多忙なスケジュールの中、脳卒中で倒れ5ヶ月の入院生活を経験する。
現在はリハビリ療養の中で新しいライフスタイルを模索中。脳卒中で倒れたことが人生をますます豊かで幸せなものにしてくれたと語る。

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