今ある幸せ◇

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富屋旅館

こんにちは。

ドクターリセラの城嶋協子です。

気づきと感謝で胸がいっぱいになり、原点を思い出させてくれる

そして訪れた人は生涯忘れる事のない旅に、

今年も、もうすぐ入社の10年度内定者と島根コールセンターの社員さんとで伺う事が出来ました。

宿泊し、研修させて頂いたのは鹿児島県知覧にある「富屋旅館(とみやりょかん)」。

前身はこの旅館の横に今も当時の面影を残す「富屋食堂(とみやしょくどう)」。

ここは、第二次世界対戦の時、最年少は15才の若い特攻隊員達が片道だけの燃料を積み飛び立つ前に

故郷に残して来た母親とは会えない特攻隊員の母として心のより所とした「鳥濱トメ」さんの営んでいた
食堂です。明日飛び立つ隊員の「おばちゃんの卵丼が食べたい」と言う言葉に、物資も食糧もないので、
急いで自分の着物を質屋に売って卵丼を食べさせた鳥濱トメさん。
その食堂の横に、特攻隊員さんの遺族の方達が訪れた時に宿泊出来るようにと建てられた旅館で、
現在は鳥濱トメさんのお孫さんのお嫁さんが鳥濱トメさんの遺志である、
「明日はなくなる自分の命より、大切な人を想う心優しいあの子達の事や
戦争の事を間違って伝えちゃいけないよ。」
という言葉を継ぎ、語り部としてここを訪れる方にお話しされています。
当社の社員さんは「富屋食堂の鳥濱トメさん」と「特攻隊員達」の絆を通して、
特攻に行く人の心と見送る人の心を描いた、現東京都知事の石原慎太郎さん監督の
映画「俺は君のためにこそ死にに行く」を観てから、この富屋旅館に研修に行かせてもらっていて、
ほぼ社員全員がここを訪れ,、忘れてしまった何かを感じ取ります。
この旅館は普通のホテルとは全く違い、優雅でもなく、豪華なお食事が出るでもなく、
「不便さ」の中で何かを感じ取tれる素晴らしい気付きの宿です。
感じ取るものは人それぞれ違いますが、訪れる前と後とでは心の持ちようが確実に違います。
命の有り難さに気付き、人としての原点に戻れる場所です。文字にすれば限りなく長くなってしまうので
写真を2つ。
上の写真は何と書いてあると思いますか?
吾唯足を知る(われ、ただ、たるを、しる)です。富屋旅館の廊下に貼ってあるものです。
口の文字を中央にして、口と上の文字を合わせて吾(われ)、口の右横の文字と合わせて唯(ただ)
口の下の文字と合わせて足(たる)、口と左横の文字を合わせて知(しる)
少欲知足・足るを知る・欲を言わず今与えられているものが満足と思える心でしょうか。
私の解釈は「今ある幸せ」・・・・・。
私達は便利で快適な日常の中だからこそ、
尊い命を与えて頂き、今日息が出来ている事には感謝の気持ちは忘れ、あれがない・これがいやだ等
言いがちです。
平和への願いの為自分の命を散らし、生きたくても生きられなかった方々がいたと知った時、
与えられた命を最大限に輝かせ生きて、目の前にある事を一生懸命にして、
出合った方々に喜んで頂く事が最大の供養だと感じました。
そして、今回分かった事なんですが、特攻隊員さんの写真の中に、私の生まれ故郷浜松の人がいる事を聞き、
聞けば、私の旧姓の磯部と同じ姓の「磯部 十四男さん」がいるのを知りました。
そして特攻平和会館に家族に宛てた遺書も保存されているのを発見したのでした。
浜松の磯部姓なら間違いなく私の親戚です。身近な人もこの地から散って行ったのを知りました。
下の写真は富屋旅館の朝ごはんです。
普段なら、「えっ質素・・・・」と感じると思うと、私って何てぜいたくな人になっていたんだろう!!と気付くと
恥ずかしく、戦時中であればこんな美しいお米一粒も口に出来ずに亡くなって行った方々の事を想って
頂くこの朝食の有難い事。そしてこの上なくぜいたくで美味しい食事を頂ける事に感謝し、
内定者の引率で3回目の訪問でしたが、何度訪れても何回も涙があふれ、
今ある幸せを改めてかみしめられる最高に意味のある旅です。
内定者もコールセンターのスタッフも終始涙して、目が腫れる位でしたが、
訪れる前とは、確実に目の輝きが違い
そしてしゃべる言葉の一つ一つが成長したなと思えるようなものに変わっていました。
親に産み育ててもらい、多くの周りの方にお世話になって、素晴らしい製品と出会って、
それをを世の中の方に伝えて行ける幸せを噛みしめ、感謝して、
今日からまたドクターリセラ社員と城嶋は元気いっぱい進んで行きます!!
富屋旅館さん  ホームページアドレスです。  www.tomiyaryokan-chiran.jp
最後までお読み頂きありがとうございました。

 

奥迫 協子

ビューティー
ライフクリエイター

奥迫 協子KYOKO OKUSAKO

静岡県浜松市出身。

中高一貫女子校に通うが中学2年で最愛の父が他界、以来奨学金とアルバイトで高校卒業後、銀行勤務を経て結婚、2児に恵まれるも30代でシングルマザーとなり補正下着店を経営。
自身の肌悩みにより倒産の危機に陥るが、「肌を改善出来、自分や大切な家族が使い続けられる」という観点から安全で結果の出る天然成分のみの無添加スキンケアを開発。
全国のエステサロンに営業に回る。またテレビショッピングにも出演し1日1億円の売上をも記録するが方向性に疑問を持ち辞退。 現在では全国のエステティシャンから「これがないと困るスキンケア」として支持を得るようになり、スキンケア開発過程で知った化粧品や洗剤などの人体や地球環境への影響や対策を伝え続けている。
58才、孫4人を持った現在もノーファンデーションの肌でナチュラルに地球環境にも優しく生きる方法を等身大で伝えるビューティーライフクリエイター、美容会社の取締役、イメージモデルとしても活動中。

 

 

 

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