自由と責任

前回、「浜辺のあしあと」との出会いを書きましたが、その頃の私の生活を思い出して少し書いてみます。


18歳の終わり、私は初めてパスポートを取り、英国でのオーペアと言うプログラムに参加しました。

オーペア(Au pair)と言うのは、もともとイギリス人家庭がヨーロッパの女性を家庭に受け入れて、語学研修とマナーを習得させてくれると言うものでした。

(私がイギリスに行った前後数年間だけ、日本人にも門戸が開かれました)

ロンドンの北にあるホストファミリーの家は、ハムステッドヒースやハイゲートなど素敵な場所の近くの住宅地にありました。

ワイルダー家は4人家族。
小学校に行っている男の子が2人、お父さんは会社を経営し、お母さんはヘアサロンのオーナーでした。

私の仕事は下の男の子の学校の送り迎えと午前中の家事手伝い。
午後になるとバスに乗って語学の学校まで通って学生をしていました。

その家では、私の前にもドイツから来たオーペアの女性が子供たちの世話をしており、やんちゃな子供たちも英語習得中の外国人と身振り手振りで話すのを楽しんでいました。

その家庭では子供のしつけについて、日本との文化の違いを学ぶことが多々ありました。

両親の教育方針は:
「あなたが思う事は何でもやってみなさい、応援します。でも人に迷惑をかけることだけは絶対にダメ」と言うものでした。

自分の思った事は自由にどんどんやってみること、でもその自由には必ず責任が伴うことを小さい時から教えていました。


こんなことがありました。

雨の降っている日、私はジェイミーを迎えに傘を持って校門まで出かけました。授業が終わり、子供たちが一斉に飛び出してきました。

ジェイミーを見つけて傘を渡そうとすると、彼はそれを拒否して持っていたディバックを私に押し付け、ジャンパーのフードをかぶって道を走り出しました。

私は追いついて彼に傘を渡そうとしますが、彼は聞く耳を持ちません。楽しそうに水たまりを飛びながら歩いて行ってしまいました。

私は彼に風邪をひかせたら大変と必死に追いかけましたが、、、
雨に濡れたまま彼は家に着いてしまいました。

玄関で待っていたお母さんに私はきっと叱られるだろうと思ったところ…

I’m sorry と言う私に
お母さんは Why?

「ジェイミーが風邪をひいたら私のせいです。ごめんなさい…」

お母さんはニコニコ笑いながら、

「傘いらないってフードかぶって走ったのはジェイミーでしょ、風邪をひいたら彼の責任。彼はそれを知っててやったのだからあなたのせいじゃないわ」と。

こんな小さな時から、自由と責任はペアだと教えているのですね。とても勉強になりました。

当時、私の知っている日本の子供たちは「お巡りさんに叱られるからやめなさい」「およその人に笑われるからそれやっちゃだめ」などと言われてしつけられていましたから。

自分の思ったことを他人に気兼ねすることなく思い切って実行する勇気を教えられていた子供たちと、
常に周りを見ながら、周囲の人にどう思われるかを気にしながら自分の行動を決める子供たち、、、
いろいろ考えさせられました。


ロンドン時代の懐かしい話、いろいろ思い出しました。また別の機会に書いてみましょう。

猫が鏡の前に座っている写真

中野 裕弓

人事コンサルタント
ソーシャルファシリテーター

中野 裕弓HIROMI NAKANO

19歳で語学研修のためロンドンに渡り、その後9年に及ぶ英国生活を経て、
東京の外資系銀行、金融機関にて人事、研修などに携わる。

1993年、ワシントンD.Cにある世界銀行本部から、日本人初の人事マネージャー、人事カウンセラーとしてヘッドハントされ世界中から集まったスタッフのキャリアや対人関係のアドバイスに当たる。

現在は一人ひとりの幸福度を上げるソーシャルリース(社会をつなぐ環)という構想のもと、企業人事コンサルティング、カウンセリング、講演、執筆に従事。 また2001年に世界銀行の元同僚から受けとったメッセージを訳して発信したものが、後に「世界がもしも100人の村だったら」の元となったため、原本の訳者としても知られる。

「自分を愛する習慣」をはじめ、幸せに生きるためのアドバイスブックや自分磨きの極意集、コミュニケーションスキルアップの本など著書多数。

2014年の夏、多忙なスケジュールの中、脳卒中で倒れ5ヶ月の入院生活を経験する。
現在はリハビリ療養の中で新しいライフスタイルを模索中。脳卒中で倒れたことが人生をますます豊かで幸せなものにしてくれたと語る。

 

 

 

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