人生には坂がある 

NHKBSに「にっぽん縦断・こころ旅」という番組があります。
俳優の火野正平さんを先頭に自転車5台で日本中を回る人気旅番組です。
視聴者さんの思い出の土地を訪ねる番組はもう千回を迎えた長寿番組になりました。

火野さんが登り坂をフーフー言いながら走るのは大変そうですが、
その後、長い下り坂を「下り坂サイコー!」
と言いながら降りていく楽しそうな姿もとても印象に残っています。

人生を歩んでいると途中の景色も様々。
登りもあれば、下りもあります。
うまくいくときも、どうやっても這い上がれないような時もありますね。

ところで、
坂には登り坂、下り坂の他に
3つ目の坂がある事をご存知でしたか。
私もどこかで見つけました。

それが「マ・サ・カ」です。

今からちょうど7年前の真夏8月、
私はその大きな「まさか」を初めて(?)超えました。

全く前兆もなく、一瞬にして想像だにしていなかったことが目の前に…

それはある夏の暑い日の午後。
道を歩いていて、なぜかまっすぐ歩けなくなってきて足がもつれてとうとう道端に崩れ落ちました。
混乱した頭で貧血かしら?と思ったのですが、体の自由が全く利かず…
通りかかった通行人の方々が駆け寄って、すぐに救急車を呼んでくれました。
左脳の出血、脳卒中でした。

「まさか」の坂を越える時は周りの景色も、先に続く道も全く見えないのです。
まさか、とはそういうものですよね。

救急病院に運ばれ、即、入院。
その日から5ヶ月余り、病院の天井を見て暮らしました。

左脳の血管が破れて出血したので右半身が麻痺します。
利き手の右手右足の感覚は全くなくなってしまいました。
寝返りも打てません。
今まで普通にやっていたことができなくなり、何事も人に助けてもらわなければならない生活。

それまで何でも自分でできると思っていた私、元気でエネルギッシュ、入院も大病も1度も経験したことのない私にとっては大ピンチ。
まさに後戻りは無い人生のターニングポイントを経験しました。

自分の体の不具合に加えて、病院での生活はいろいろ初めてのことばかりで面食らいました。
元来、マイペースで生きてきて団体行動が苦手な私は限られたスペースと決められた規則の中で生活を合わせることが大変でした。

入院して検査が終わってまもなく、リハビリが始まりました。
PT (理学療法士)が麻痺した足の歩行訓練を、OT (作業療法士)が右手のリハビリを、通常はそれに言語療法士の発音の訓練も入ります。

運動大好き系でない私は、1日3回、病室にお迎えが来てリハビリ室に連れて行かれトレーニングをする毎日はパラリンピックの強化訓練?のように思えました。
実際に「私、パラに出る気はありませんから…」と療法士さん達に泣き付いて少しでも軽くしてもらうように頼みましたが…彼らはさすがプロでした。

倒れる前なら、何とも思わない日常の動作、立ったり、座ったり、歩いたり、体の向きを変えたり、床に落ちたものを拾ったり、そういうものの一つ一つがものすごく時間がかかります。
何もできなくなった自分を情けなく思うことも、目の前の現実を嘆きたくなる時もありました。

そんな時、気がついたこと。
今までの自分と
今の自分を比べる事は
何の役にも立たないと言うこと

代わりに、
「1粒で2度おいしい」
という有名なキャラメルのキャッチフレーズの人生、と考え直しました。

新しい人生をやり直している、と思えば 初めてのリハビリ、初めての入院生活、初めての片手での洗顔、初めての入浴介助、はじめての、、、
日常のいろいろなことが面白く感じるようになりました。

今までの何倍もの時間をかけてあれこれ苦戦している自分の姿を俯瞰してみると…
滑稽で、マンガチックで、可愛くさえ見えてきたこともありました。

健常者で ”いつも元気なロミさん”だった自分には味わえないようなことが山のように体験できて、物の見方、人生の考え方、歩み方も全く違ってきたのです。

「7年前の暑い8月末。
あの時、何事もなかった人生と、まさかの坂を超えてしまった今の人生、
選べるとしたらどっちにしますか?」
と神様に聞かれたら、間違いなくこう答えます。

「まさかの坂を超えた今の人生をチョイスします!」

火野正平さんが「下り坂サイコー」と言うフレーズも共感できるようになってきました。
「まさか」のショックが落ち着いた時、これも人生よね〜と明るく開き直ることで、「下り坂もオモシロイ〜」と言う気分になりました。

人生には
乗り越えられない出来事は
その人に起こらない、
と私はいつも考えています。

そう考えると「下り坂」の歩み方にもいろいろアイディアが出てきます。
人生の途中の景色、アップもダウンも余すところなく味わい尽くしていきたいと思いました。

中野 裕弓

人事コンサルタント
ソーシャルファシリテーター

中野 裕弓HIROMI NAKANO

19歳で語学研修のためロンドンに渡り、その後9年に及ぶ英国生活を経て、
東京の外資系銀行、金融機関にて人事、研修などに携わる。

1993年、ワシントンD.Cにある世界銀行本部から、日本人初の人事マネージャー、人事カウンセラーとしてヘッドハントされ世界中から集まったスタッフのキャリアや対人関係のアドバイスに当たる。

現在は一人ひとりの幸福度を上げるソーシャルリース(社会をつなぐ環)という構想のもと、企業人事コンサルティング、カウンセリング、講演、執筆に従事。 また2001年に世界銀行の元同僚から受けとったメッセージを訳して発信したものが、後に「世界がもしも100人の村だったら」の元となったため、原本の訳者としても知られる。

「自分を愛する習慣」をはじめ、幸せに生きるためのアドバイスブックや自分磨きの極意集、コミュニケーションスキルアップの本など著書多数。

2014年の夏、多忙なスケジュールの中、脳卒中で倒れ5ヶ月の入院生活を経験する。
現在はリハビリ療養の中で新しいライフスタイルを模索中。脳卒中で倒れたことが人生をますます豊かで幸せなものにしてくれたと語る。

 

 

 

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