父のこと◇


 

大正の最後の年に生まれた父は今年93歳になりました。

 

今は実家に近い老人施設でお世話になっていますが、
毎週末、私の妹との外出を楽しみにしています。

認知症の母を最後まで責任持って看取るという大役も3年前に終え、
残りの人生を穏やかにマイペースで暮らしています。

 

 

父は親の世代で仙台から台湾に移住して、
警察官をしていた私の祖父の三男として台湾で産まれ、
出征する16歳まで台湾の嘉義というところで育ちました。

戦争が始まり、父はすぐ上の兄の影響で同じパイロットに憧れ少年飛行兵に志願しました。

それから終戦までの数年間は飛行機乗りとして壮絶な戦争体験をくぐって生き延びてくれました。

 

 

父はその頃のことを鮮明に記憶しており、
退職して時間ができてから「遥かなる追憶」という本にまとめました。

当時、ワシントンD.Cに暮らしていた私にその本が届いた時、
父の若き頃の人生を知り感動したのを覚えています。

 

とはいえ物心ついた時から 父はとても厳格で、
しつけと言いながらもすぐ怒鳴り、
スパルタ教育を実践する昔ながらの頑固おやじそのもので、
私にとっては 心が通わず苦手な存在、いえ大嫌いでした。

 

若々しく優しい自慢の母と私と妹の女三人の和やかな団欒は、
父が帰宅すると一変し、さっと緊張が走ります。

姉妹はまるで蜘蛛の子を散らすように二階の自分の部屋に行き、
できるだけ父を避けていました。

今思うと元来子煩悩でユーモアのある父は、
娘たちとどうコミニュケーションをとって良いか悩んだことでしょう。

 

母によると息子が生まれたら、
自分と同じ剣道の道を進ませたいと大いに期待していた男気溢れる父は、
女の子二人の誕生にがっかりもし、戸惑ったのかもしれません。

また警察官という仕事柄、曖昧なことは相容れず、
融通は利かず、何事も自分が正しいと思ったことを良かれと家族に強いる強い父でした。

 

我が家は両親とも台湾からの引揚者同士ということで、
経済的にも余裕のない生活。

母も働いており、
自分たちは贅沢せずにお金は子どもの教育にかけようと決めたのだと後で聞きました。

長女には語学を、次女には音楽を、が我が家の教育方針でした。

その後、そのまま私は外国での仕事、
妹は声楽家から母校の音楽の教師になりましたから、
親のつけてくれた方向性のおかげです。

 

小学3年になった時、
お金をかけずに英語を学ばせたいと思った父は毎朝、
私に新しいルーティンを課しました。

毎朝6時から15分間、
ラジオの前に正座させられ「基礎英語」という番組をただ聴くのです。

子どもには不要だからとテキストは買ってもらえず、
意味がわからないから居眠りをしてしまうとビシッとものさしで叩かれます。

これはその後5、6年続き、英語を聴くというより
父を怒らせないようにするのが私の朝の日課でした。

 

これには後日談があります。

 

20代、ロンドンで語学を学んでいた私は、
どちらかというと書くことより喋ることに重きを置きたいと
特別にスピーチクラスを取っていました。

映画マイフェアレディでヒギンズ先生が
花売り娘に上流階級の英語を教えるシーン、
まさにそのような発音矯正に明け暮れました。

その時 聞いた話ですが、
子どもは12歳を迎える頃には音を聞き分ける能力は
それまで使っていた母国語に限定されてしまう。

だから12歳以降に外国語を学んでも
正確な発音は難しいということでした。

 

 

だとすると、父からの命令でラジオの前に正座していた時期は9歳から14歳くらいまで。

その時期に意味もわからず
英語を聞き流していたことで
語学の音を聞き分ける耳ができたということになります。

父はそんなことは知らなかったそうですが、
私はその特訓のお陰で語学の耳が良くなり、
その後の英語を駆使するキャリアにも繋がったと
今では父の先見の明に感謝しています。

 

 

とはいえ当時の父の厳しさ、
瞬時に機嫌の悪くなる怖さは
私にとっては苦痛で早く家を出たいとばかり考えていました。

高校生の時、勇気を出して父に異論を唱えたことがあります。

すると「娘というものは嫁入り前は父親に絶対服従。
嫁入り後は夫に従うものだ」と。

じゃ自分の意のままに行動できる時はないの?
以来父との間の溝は深まるばかりでした。

 

家を離れてイギリス生活2年目の頃、
父はすでに遠くの存在になっていました。

ところが、ある事で子どもの頃のことが
トラウマになっていたことを思い知るのです。

それはある日の夕刻、
友人たちとハイドパーク近くの道を歩いていた時、
通りを隔てたかなり遠い向こうで男の人が大声で怒鳴りだしました。

私は一瞬にして全身の血が凍ったようになり
その場から一歩も動けなくなってしまったのです。

昔、父に怒鳴られたときの記憶がダブってしまったのですね。

もう大人になったのだし、
遠くに離れているから問題ないと気にもとめていなかったのに、です。

 

 

若い頃は父とは生涯打ち解けることはないだろうと思っていました。

それが30代半ばあることをきっかけにお互いの距離が縮まり、
その後は人生の深いことまで話せる存在になっていきました。

天敵から心友へ(⁉︎)その変化は自分でも驚きです。

 

きっかけはストレス解消のために始めた瞑想でした。

瞑想をすることにより私自身が変わっていったのです。

それまでは自分が理想とする父親像を実際の父に重ね、
こんな父親の家に生まれたくなかったと一方的に父を責めていました。

それが毎日瞑想をするうちに、
そんなこと(⁉︎)はどうでも良くなっていったのです。

自分の心の声に耳を傾けるようになると自分の外のこと、
他人のことは気にならなくなってきました。

 

今まで嫌だったことが“気にならなくなった“時、
頑なだった心が少しずつ緩んできて余裕が生まれ、
相手のことも冷静に客観的に見るようになるのです。

父を見るのに私が娘という目線しかもたない時は、
感情的になり、被害者意識にとりこまれていました。

 

ある日、父という人物像を客観的にみてみました。

 

・70代 日本人男性、

・戦争経験あり(少年飛行兵として奇跡の帰還)

・戦争により若い頃の夢(漢文の教師)は潰えて、家族を養うために仕事に従事

・大好きな台湾の故郷も失う

・男兄弟の中で育ち、娘の扱い方には不慣れ

・ 10代で尊敬していた父を病で失う

・ 曲がった事が許せない性格は時に周りに軋轢を生じて生きにくくなる

・ 仕事が忙しく、家事育児は妻任せ、家で男性一人孤立、寂しい

・ 趣味の剣道、釣りに家族は全く興味なく、悲しい

・ 良かれと思って言っても、話し方に問題があり真意が伝わらない 等、、、

 

以上のリストは父に確認したものではなく、あくまでも私の想像。

「もし私も同じ境遇だったら? 」
その人と同じ行動はとらない、と断言できるでしょうか?

自分にこのリストを置き換えてみると
「そうせざるを得ないだろうな」
「そうなのかもしれない」と共感するところも出てきます。

思いを馳せてみるだけで、
相手への見方が変わります。

20年前こんな風に 父を見つめ直して以来、
父との関係はとてもフラットでお互いをリスペクトしあい
親子という関係性を楽しめるようになりました。

 

その後も家族旅行やイベント、
父との二人旅、いい想い出がたくさん増えました。

今では父は私にとって大切な心友、
人生を共に歩む仲間です。

 

父の体験記「遥かなる追憶」の編集に
関わってくれた従姉妹が父に聞いたそうです。

「叔父さんが壮絶な戦争体験を経てなお
奇跡的にフィリピンから生還できたその生命力の源はなんだったのでしょう?」

父はしばし遠くを見つめて一言、
「未だ見ぬ娘たちに会うために必死に帰ってきた」

 

後日、彼女からそれを聞いて涙が溢れました。
面と向かっては決して聞けない言葉でしたから。

父は不器用だったかもしれませんが、
私達子どものことを生まれる前から愛していてくれたと確信したのです。

 

6月の父の日を今年も共に祝えることが幸せです。

お父さん、あなたの存在に感謝しています。

佳き人生を!

 

 

 

中野裕弓

中野 裕弓

人事コンサルタント
ソーシャルファシリテーター

中野 裕弓HIROMI NAKANO

19歳で語学研修のためロンドンに渡り、その後9年に及ぶ英国生活を経て、
東京の外資系銀行、金融機関にて人事、研修などに携わる。

1993年、ワシントンD.Cにある世界銀行本部から、日本人初の人事マネージャー、人事カウンセラーとしてヘッドハントされ世界中から集まったスタッフのキャリアや対人関係のアドバイスに当たる。

現在は一人ひとりの幸福度を上げるソーシャルリース(社会をつなぐ環)という構想のもと、企業人事コンサルティング、カウンセリング、講演、執筆に従事。 また2001年に世界銀行の元同僚から受けとったメッセージを訳して発信したものが、後に「世界がもしも100人の村だったら」の元となったため、原本の訳者としても知られる。

「自分を愛する習慣」をはじめ、幸せに生きるためのアドバイスブックや自分磨きの極意集、コミュニケーションスキルアップの本など著書多数。

2014年の夏、多忙なスケジュールの中、脳卒中で倒れ5ヶ月の入院生活を経験する。
現在はリハビリ療養の中で新しいライフスタイルを模索中。脳卒中で倒れたことが人生をますます豊かで幸せなものにしてくれたと語る。

 

 

 

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