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  • 中野 裕弓

人生を面白がる

 

人生を爽やかに卒業された
樹木希林さんの素敵な言葉が本になってたくさん出ています。

たくさんある宝物のような言葉の中で
私が探していた言葉を見つけました。
それは…

「人生を面白がる」
人生上の一つ一つの出来事を真面目に捉えすぎて
一喜一憂してしまうと体も心も疲れますね。
人生のピンチの中でもがいている自分でさえも
「面白がって生きる」ことができたらそれはそれは人生の達人の領域です。

「面白がって生きる」
なかなかできそうもない生き方に思えますが、
十代の終わりに初めて日本を出て
イギリスで生活を始めた私にそれを教えてくれた方がいました。

渡英してしばらく経った頃、まだ英語もおぼつかない私でしたが、
週末に列車でケント州に出かけました。

それは日本の恩師であるS先生からのご紹介で
エインスフォードと言う小さな町に住むマップス夫人を訪ねた旅。

ロンドンから列車で1時間ぐらいのところにある町ですが、
小川に架かる太鼓橋が印象的で
まるでお伽の国のような可愛らしい田園の町でした。

ホームメイドクッキングのおいしいランチの後、
マップス夫人は「あなたに紹介したい人がいるのよ」と
散歩に出かけました。

そこにはチューダー風の可愛い小さなコテージ。
クリーム色の小さなドアが開くと小柄な老婦人が
優しい微笑みで立っていらっしゃいました。
それだけで映画のワンシーンのようでした。

歴史を感じるコテージにぴったりな上品なおばあさま
ベティさんは御年92歳とのこと。
私のつたない英語を一生懸命聞いてくださいました。

異文化にまだ慣れていない19歳の新人?と人生ベテランの92歳の老婦人。

当時、私の身近に90歳を過ぎて元気に若々しく生きているお年寄りに
あまり接することがなかったので、
時に少女のような表情を見せるベティーさんの姿は色々な意味で驚きでした。

今、ここで、同じ時代に生きて
アフタヌーンティーをご一緒しているその光景が
なんだかとても不思議で特別な気がしたのを思い出します。

ベティさんは若い頃、
パリに渡り新聞記者として活躍した元祖キャリアウーマン。
リタイヤ後はその小さなコテージでマイペースのひとり暮らしを楽しんでおられました。

お庭でハーブを栽培し、井戸で水を汲み、
ストーブでお茶を沸かし、お手製のクッキー、
そして何もかも包み込むような優しい笑顔でもてなしてくださいました。

” おひとりさま”の生活をとてもお丁寧に心豊かに生きていらっしゃる様子。
歳を重ねると言うことがどういうことなのか実感のなかった若い私にも
それまで知らなかった”豊かさ”が伝わってきました。

お別れにどうしても尋ねたかったことがありました。

「人生を幸せに生きる秘訣ってなんですか?」

ベティさんの答えは、、、

「 それはTorelance (寛容)とSense of humor(ユーモアのセンス)かしら」

寛容とユーモア、その2つはその後の私の人生の指標となりました。

寛容とは、相手を尊重しあるがまま受け入れるおおらかさ。
また自分と違う人も理解しようとして多様性にも強くなること。

究極のユーモアのセンスとは、
自分がピンチに陥った時も、その姿を客観的に捉えることができる、
つまりその姿でさえも「面白がる」余裕と私は理解しています。

一方、物事や人に対して寛容でない場合は
自分の周りに起こる出来事に一喜一憂、いちいち反応して腹を立てイライラ。
それではいつまでたっても心の安らぎは得られません。

樹木希林さんの言う「人生は面白がれば良いのよ」と言う言葉が響きます。

その後マップス夫人に
ロンドン在住のローマン夫妻をつないでいただいたのですが、
私の青春、そしてその後の人生も
この方々の生き方に大いに影響を受けることになるのです。

ご主人のドンさんは会話の中でよく「tickled」という言葉を使われていました。
今日もティクルなことがあったよ、など愉快そうに話していました。
これは元々くすぐると言う意味なのですが、
日本語でぴったりした言葉が見つからないでいたのですが、、

それは樹木希林さんのおっしゃった「人生を面白がる」
まさにそういうことだったと気づきました。

人生の達人は、生活の場所が違っても、
同じような生き方をされているのだなぁと改めて感じ入りました。

人生上、本当に様々なことが起きます。
それに直面した時もショックが一旦落ち着いたら
「その出来事をも面白がる」という真剣で真摯な気持ちで向き合うなら、
あの人生の達人たちのように新しい出口が見つかるような気がします。

ロミ

SNSSHARE

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COLUMNIST
中野 裕弓
人事コンサルタント
ソーシャルファシリテーター
中野 裕弓
HIROMI NAKANO
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19歳で語学研修のためロンドンに渡り、その後9年に及ぶ英国生活を経て、
東京の外資系銀行、金融機関にて人事、研修などに携わる。

1993年、ワシントンD.Cにある世界銀行本部から、日本人初の人事マネージャー、人事カウンセラーとしてヘッドハントされ世界中から集まったスタッフのキャリアや対人関係のアドバイスに当たる。

現在は一人ひとりの幸福度を上げるソーシャルリース(社会をつなぐ環)という構想のもと、企業人事コンサルティング、カウンセリング、講演、執筆に従事。 また2001年に世界銀行の元同僚から受けとったメッセージを訳して発信したものが、後に「世界がもしも100人の村だったら」の元となったため、原本の訳者としても知られる。

「自分を愛する習慣」をはじめ、幸せに生きるためのアドバイスブックや自分磨きの極意集、コミュニケーションスキルアップの本など著書多数。

2014年の夏、多忙なスケジュールの中、脳卒中で倒れ5ヶ月の入院生活を経験する。
現在はリハビリ療養の中で新しいライフスタイルを模索中。脳卒中で倒れたことが人生をますます豊かで幸せなものにしてくれたと語る。

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