アクションなき人に感動なし

ある女性が、どんな感動的な話を聞いても、自分は涙も出ないと言う。

みんなが感動していることでも、自分は何も感動もしないし涙も出ないと語った。

何かの出来事が、人を感動させるのではない。その出来事に自分がどう関わったかで、人は感動するのだと僕は思う。

ある幅跳びの選手が、新記録を樹立した瞬間に、スポーツ記者に「今どんな気持ちですか?」と問われ「今、死んでもいいです!」と泣いた。

 

そんな彼も、以前は自殺を考えるほど落ち込んだ時があった。

 

数センチの記録が縮まらないことに苦しみ悩んだ末のことだ。

 

そんな苦しみの日々の中で「こんな数センチ、バッタだって飛べるんだ…そんな数センチくらいのことで、自分は何をクヨクヨと悩んでんだ。
オリンピックや、記録のために飛んでいるのではない! そう、楽しくて幅跳びを始めたはずだ。
自分は世界を背負っている気持ちになっているが、数センチ縮めても世界は変わりはしない。
命が終わるわけではない。自分が楽しもう、そう、それでいい」と、心が楽になったと語る。

 

「たかだか、バッタの数センチ!」バッタは飛ぶことに苦しんでなんかいない。そう思うと、急に心が解放されるように彼には感じた。

 

「そうだ、バッタのように楽しもう!」そして、彼は練習を再開した。

 

ところが、彼は次の公式試合で世界記録を更新する。

 

「バッタだって飛べるさ」と言って笑った彼が、バッタだって飛べる距離を縮めた瞬間に、グランドで記者に囲まれて、感動のために彼は「今、死んでもいい」と大泣きした。

 

僕たちは一生懸命に練習し、苦しんだ末に言うべき彼の言葉を、何も努力もしないで言ってしまう。そう「バッタだって飛べるさ」「あんなことにムキになってバカじゃない」「あんなジャンプに、何があるの? 考えられないんだけど」「四年も練習しているなんて、ありえない」と…

 

そう冷めた言動が、この世界を平凡で、退屈な世界に変えてしまう。これが生きる気力を失っている人に多い傾向です。

 

人はバカみたいに、ムキになったことで、見えてくる世界があります。

 

追いつかないボールにぶざまに飛びついて初めて、見えてくる世界があるのです。手の先に飛んで行くボールを追いながら、自分の練習不足と、ライバルの放ったボールのスピードに、相手の努力の日々を知ることになる。そして、仲間は「ヤツは、試合を捨てていない!俺たちもあきらめるな!!」と燃える集団になる。

でも、飛びつく前から「取れねぇし」と言ってしまえば、世界は、ただ面白くもない退屈な現実が広がるだけになるのです。

 

だから、すべてを「くだらない」と言わないで、なんでもバカにしないで飛び込むことで、世界の深さをリアルに感じられるのです。それが、感動への近道です。取れない球をあきらめないで追っかけてみる。断られるはずの商談に、もう一歩喰いついてみる。勇気を出して、気になる人に話しかけてみる。この世界の深さや奥行きを味わってみることです。考えていたことと、体験することは違うから。

 

その先に輝く感動の世界が待っている。

 

プロフィール

衛藤信之

日本メンタルヘルス協会 心理カウンセラー
ブログ:  https://ameblo.jp/n-etoh
YouTube: http://www.youtube.com/c/mentaletoh

 

 

 

 

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